盆土産


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昭和40年前後の8月12~13日の話

 この物語の鍵は、父親がお土産に持って帰った冷凍のエビフライです。

 エビフライが家庭で一般的に食べられるようになったのは、昭和37年に加ト吉(現テーブルマーク)から冷凍のエビフライが発売されて以降です。発売当時は家庭に冷凍庫があまりなかったことや、冷凍食品の輸送が難しかったそうです。ですから、とても珍しい食べ物を持ち帰り、子ども達を喜ばせようとしたのでしょう。

 また、バスに車掌が乗っていることや、夜行の蒸気機関車が帰省に用いられていること、電話は普及しておらず、帰省の連絡に速達を使用していたことからも、昭和40年前後と思われます。

 だいたい、『となりのトトロ』よりも少し後の時代だと考えて間違いないでしょう。

 題名が「盆土産」ですから、お盆の話です。お盆とは8月13日の迎え盆から8月16日の送り盆までです。この前日の午前中に主人公は、父親のためにそばつゆの出汁に使う雑魚を釣っています。ですから、8月12日の午前から8月13日の夕方までの物語です。 

 時系列にそった物語の概略を記します。

 8月11日(迎え盆前々日)

 日暮れ 父親から速達が届く

 夜   父親、上野駅周辺で冷凍えびフライを買い、夜行列車に乗る。

8月12日(迎え盆 前日)

 朝   主人公、川で雑魚を釣る。

 昼   父親、帰省。

   午後  主人公、あぜ道で喜作に会う。

   夕食  えびフライを食べる。

8月13日(迎え盆)

 朝   父親、今日東京に戻ることを主人公に告げる。

   午後  家族で墓参りに行く。

   夕方  主人公、バス停で父親と別れる。

青森県八戸市周辺の話

「えんびフライ」という言葉自体も、この物語の鍵になっています。「まぁた、えんびだ。なして、間にんを入れる? えんびじゃねくて、えびフライ。」という姉の言葉から、東北地方の方言らしいことがわかります。

 父親は上野駅から夜行列車で8時間かけて帰っています。昭和40年当時、上野駅は東北線の始発駅で、上野青森間を8時間かけて走っています。従って父親は終点近くまで乗ってきたのでしょう。父親の乗った夜行列車は、上野発21:00青森着7:05の「はくつる」か23:00発9:30着の「ゆうづる」だと思います。

 ちなみに作者の故郷は青森県八戸市周辺です。ですから、八戸駅からバスで1時間程度のところ(40~50kmのところ)が舞台なのでしょうか。

登場人物

主人公

 小学校3年生。8~9歳。分校に通っています。おそらく、物心ついた頃、母親をなくしました。

 川えびしか見たことがなく、伊勢エビやブラックタイガー等の知識がないため、父親が「海ではもっと大きなやつ(えび)も捕れる。長えひげのあるやつも捕れる」と言っても、冗談だと思っています。この時代の東北地方の寒村の小学3年生です。から、『ちびまる子ちゃん』のまるちゃんより知識量が少なくても仕方がありませんね。

 

 現在父親は東京に働きに出ていってしまって、さみしい思いをしています。ですから突然父親が帰省すると知ると、父親に振る舞うそばのダシをとるために雑魚をとり、夕食で父親がそれを焼いてどんどん食べてしまうと「はらはらして」「だしがなくならえ」と心配するくらい父親のことを思っています。

 

 物語では、父親のもたらした「盆土産」である「えびフライ」を中心に、久しぶりの家族揃って楽しい団らんを囲みます。小学3年生の主人公に、「えびフライ」と「父親」と「家族の団らん」という三つの語彙が強烈な関連をもってすり込まれるのです。

 迎え盆の朝、突然父親が東京へ戻ることを告げられ、昨晩の父親の雑魚の食べ方が「尋常ではない」理由を悟ります。

 そして夕方、「終バス」に乗る父親を「独りで停留所まで送って」いきます。帰りは当然暗くなりますから、父親は見送りはしなくてよいと言ったでしょう。しかし主人公はどうしても送っていきたかったのかもしれません。(他の研究によると、主人公が住んでいる集落と停留所までは相当の距離があるようです。)

 「村外れのつり橋」を渡った時、突然父親が「とって付けたように」「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」と語りかけます。父親が息子の悲しみを理解し申し訳なく思っていることを言外に悟った主人公は、「不意にしゃくりあげそう」になります。

 主人公の中で

  • 父親の愛情=えびフライ

という図式が成立していたため、

  • 父親が帰ってくる=楽しい家族の団らん=えびフライ
  • えびフライ=暑いのでドライアイスが必要=冬ならばドライアイスは不必要

という連想が浮かんだのでしょうか、「とっさに」「冬だら、ドライアイスもいらねえべな。」と言ってしまいます。

 つり橋を渡って、更に2人には沈黙が続きます。父親に似て口下手のようですが、小学3年という年齢を考えるとこの程度なのかもしれません。

 特に父親に頭をわしづかみにして揺さぶられるような、父親とのふれあいを楽しみにしています。

 

 別れ際、父親に「んだら、ちゃんと留守番してれな」と言われ、とっさに「えんびフライ」と言ってしまいます。

 本人は「んだら、さいなら、と言うつもり」だったと述懐していますが、本当でしょうか。ひょっとしたら、父親との別れに際し「早く帰ってきてまた楽しい家族の団らんを囲みたい」「東京には行かないで欲しい」と言いたかったのだと思います。

 この気持ちが集約された語彙が「えびフライ」ではなく「えんびフライ」だったと思います。この日の夕方、墓参りの中で祖母の言葉に「そのときは確かに、えびフライではなくえんびフライという言葉を漏らしたのだ」と言っています。主人公にとって、父親の愛情や家族の団らんを象徴する語彙は、よそ行きのハイカラな「えびフライ」ではなく「えんびフライ」なのでしょう。まさに方言の力ですね。

 中学生。本校の中学校に通っています。

 弟に対して「お姉さん」らしく振る舞おうとしています。

 えびフライというのは「どんなものか」と答えられない質問を弟にされると、答えをはぐらかし「自分の鼻の頭でも眺めるような目つき」をして視線をそらすという、年相応のごまかし方を身につけています。

 また「えびは、しっぽを残すのせ」と言われても、食べてしまったことを正当化するために「歯があれば、しっぽもうめえや」と言うような、少し負けず嫌いなところもあります。

 これらは、弟の手前ということもあるかもしれません。いずれにせよ、姉らしく振る舞おうとしていることがわかります。

父親

 「まだ田畑を作っている頃」とありますから、現在この家は田畑は作っていません。田畑を手放した理由はわかりませんが、妻(母親)をなくしたことによる労働力不足が理由だったのでしょうか。

 戦後の農地改革*1)の影響がなかったとは言い切れませんが、農地を取り上げられた地主階級ではありませんでした。この一家のお墓は共同墓地にあり「持ち土の上に、ただ丸い石を載せただけの」ものだからです。おそらく昭和30代後半のことです。

 

 その後、仕事を求めて単身上京します。当時東京オリンピック開催に向けての、高速道路や新幹線の建設等、インフラ工事が盛んでした。東京が大きく変化する時代で、工事現場の仕事が山ほどあった時代でした。

*1) 戦後の農地改革

 特に第二次大戦後、1947(昭和22)~50年にかけて GHQ の指令によって行われた日本農業の改革をさす。 不在地主の全貸付地と、在村地主の貸付地の保有限度(都府県で平均一町歩、北海道で四町歩)を超える部分を国家が買収し、小作農に売り渡し自作農化した。当時のインフレ等もあって、ただ同然の値段で買収・売り渡されたのである。

 

 

 そして、子どもたちがさみしい思いをしていることを十分理解しています。ですから、せっかく帰るのだからと、子どもたちの喜ぶ顔が見たくて、当時珍しかった冷凍のえびフライを上野アメ横で購入しました。その時、持ち帰るにはドライアイスが、そして「油とソース」が食べるまでに必要だと教わったのでしょうか。ドライアイスと共に寝台特急に乗り込みます。(アメ横で「淡い空色のハンチング」も買ったのかもしれません。けっこうおしゃれさんです。)

 8時間の道中、ドライアイスを補充した苦労も「こんなに大きなえびがいるとは知らなかった」と子どもたちは大喜びです。「満足そうに毛ずねをぴしゃぴしゃたたき」ます。

 そして、自分が帰ってしまうと、特に息子が悲しむだろうと、当日朝まで帰ることを告げません。しかし、息子が雑魚にこめた想いは十分にわかっていますから、帰京前日の夕食に「尋常ではない」スピードでビールのつまみにして食べてしまいます。

 とても口下手で、息子に対する言葉がけがうまくできません。このため、帰りの停車場まで、息子と2人で歩く道すがら、四言しか言葉を交わしていません。

  • 「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」
  • 「いや、そうでもなかべおん。冬は汽車のスチームがききすぎて、汗こ出るくらい暑いすけ。ドライアイスたら、夏どこでなくいるべおん。」
  • 「んだら、ちゃんと留守してれな。」
  • 「わかってらぁに。また買ってくるすけ……。」

 「村外れのつり橋を渡り終え」た時に「とってつけたように」語った「こんだ正月に帰るすけ、もっとゆっくり。」に父親の気持ちがこもっています。普通の文にすると、省略法が用いられていることがはっきりわかります。

  • 「今度の正月には、もっとゆっくり帰るから……。」

 この「……」の部分には、「そんなに悲しまないで欲しい」「それまで楽しみに待っていて欲しい」という言葉が入るのでしょう。この父親の省略された部分を感じ取った主人公は、父と別れる悲しみをこらえきれなくなって「しゃくり上げそうに」なります。

 停車場に着いて、「んだら、ちゃんと留守番してれな」と語りかけ、主人公の頭をわしづかみにして揺さぶります。「いい子、いい子」となでなでするより少し乱暴ななで方です。「いつもより」と言っていますから、日常的にそのような接し方をして、息子に対する愛情を表現しているのでしょう。それが「いつもより少し手荒くて」とありますから、日常以上の愛情がこもっているのだと思います。

 これに対する息子の「えんびフライ」という返答に、「ちょっと驚いたように立ち止まって、『わかってらぁに、また買ってくるすけ……。』」と言います。残念ながら、父親は「えんびフライ」に込められた息子の気持ちを理解しきれなかったようです。

 ポイントは省略された「……。」の部分です。「ちゃんと留守番してれな。」だったら省略する必要はないと思います。それ以上の気持ちが込められているからこその省略法でしょう。

祖母

 夫(主人公の祖父)を早くになくしています。

 主人公に、えびフライトはどのようなものか尋ねられると「……うめもんせ。」と答えています。このことから、息子(父親)は孫(主人公)にウケ狙いのような変なものは買ってこない、と確信しています。

 歯がありません。明瞭な発音が難しいことから、入れ歯があっても不完全なものです。(ない可能性が高いと思います。)固いものを咀嚼し嚥下する力が衰えています。

 

 念仏を唱えることから、この家は浄土系の宗派です。

 

 迎え火を焚くとき「昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうか」とあります。「えびのしっぽが喉につかえたこと」を抜かした「昨夜の食卓の様子」とは、楽しい一家の団らんの様子に他なりません。

 祖母は、今は亡き夫や嫁に、父親が墓参に帰ってきてくれたこと、土産にえびフライを買ってきて孫たちがとても喜び、久しぶりに楽しい時を過ごしたことを報告したのでしょう。

母親

 なくなったのは「まだ田畑を作っている頃」とあります。主人公の年齢から考えて9年以内のことです。主人公におぼろげな記憶があるらしいことや、父親がこの年わざわざ帰ってきたことを考えて、主人公が3歳頃のことではないでしょうか。

喜作

 小学校4年生。主人公の隣に住んでいる。お盆を故郷で過ごすために父親が帰京している。

 「盆土産」は「派手な色の横縞のTシャツ」「連発花火」であろう。喜作はそれを見せびらかしたくて「独りで畦道をふらついていた。」


父親はなぜ帰省したか

 父親は東京の工事現場で働いています。昭和40年当時と言えば、東京オリンピックに向けて焼け野原となった東京の近代化が急速に進んだ時期です。新幹線や高速道路を作るばかりでなく、国立競技場建設をはじめたくさんのインフラ工事がありました。ですから、父親はこのような工事現場で働いていたのでしょう。

 テキストに「まだ田畑を作っている頃に早死にした母親」とあります。田畑を作っていた頃は出稼ぎ労働者だったかも知れませんが、現在はそうではありません。東京への単身赴任していると考えて良いでしょう。田畑を手放したのは、母親が亡くなったため日常的に田畑の世話をする人がいなくなってしまったか、母親の治療代のために手放さざるをえなかったのか、どちらかかも知れません。いずれにせよ田畑を手放すというのは農家にとって、とても重大なことだったはずです。

 主人公はテキストで「祖父のことは知らないが」と言い、母親のことを少しは覚えているように述べています。主人公は現在小学校3年生で9~10歳です。幼い頃の記憶を持っているのは何歳くらいでしょうか。

 それは、「盆には帰らない」と言っていた父親が急に帰ってきた理由を考えるとわかります。仏教では亡くなって1年目の命日に「一周忌」、2年目の命日に「三回忌」の法要を行います。そしてその後七回忌(亡くなって6年目)、十三回忌(12年目)、十七回忌(16年目)の法要をお盆に行います。おそらく父親は「今年は七回忌の法要の年だ」ということを覚えていたのでしょう。そこで少々の無理をしても帰省したかったのではないでしょうか。

 もしそうだとすると、母親が亡くなり田畑を手放したのは主人公が三歳の時。主人公におぼろげな記憶が残っていてもおかしくない時です。

主人公は最後になぜ「えんびフライ」と言い間違えたか

 この物語を通じて、「えんび(フライ)」という言葉が登場するのは、冒頭部分の主人公と姉との会話の中と、墓参りでの祖母の言葉、

  • んだら、さいなら、と言うつもりで、うっかり、「えんびフライ」と言ってしまった。

という最後の場面の、3箇所だけです。

 「いつもより少し」強めの、「頭をわしづかみにして揺さぶる」という父親の愛情表現があり、「行かないで」とか「さみしいよ」等の気持ちがあふれてしまい「さいなら」と言えなかったわけです。

 では、なぜ「えんびフライ」なのでしょう。「えびフライをまた食べたい」とか、直前の話題がえびフライだったから、という解釈では、物語のクライマックスとして少し物足りないですね。

 

 「えんびフライ」という言葉に主人公がこめた思いとは、どんな思いなのでしょう。ヒントは、墓参りで祖母が言った「えんびフライ」にあります。

  • 祖母は昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうか

 祖母が祖父と母親に報告した内容は「昨夜の食卓の様子」です。「えびのしっぽが喉につかえたこと」以外に、どんなことを報告したのでしょう。

  • 盆には帰れないと言っていた「父っちゃ」が、わざわざ墓参りのために帰ってきてくれたよ。孫を喜ばせようと珍しいえびフライを盆土産にしてな。みんなでそのえびフライを食べて楽しい食卓を囲んだよ。安心しておくれ。

 このような内容だったのだと思います。

 だとすると、えびフライには「家族の楽しい団らん」という特別な意味がプラスされます。単なるえびフライではない、「家族の楽しい団らん」という特別な意味が加わったえびフライこそが、なじみのある親しみやすい方言を使った「えんびフライ」という言葉だったのではないでしょうか。

 だから、主人公が無意識に「えんびフライ」と言ってしまったのは、

  • えびフライをみんなで食べたような、家族揃って楽しい食卓を囲む生活をしたい

という心の叫びだったのだ、と考えることもできます。

 みなさんはどう思いますか?  

「盆土産」の主題

 ストーリーの展開に沿って、あらすじをまとめてみます。

  • 1日目。主人公は突然お盆に帰省する父親のために「父っちゃのだし」を送り盆のまでに間に合わせようと雑魚を釣りながら、盆土産であるえびフライとはどんなものだろうと考える場面で物語は始まります。
  • この日の前日、突然父親がえびフライを持って帰省する速達ありました。えびフライにとはどんなものか、主人公にも姉にも見当がつきません。しかし祖母はわからないながらも「うめもんせ」と父親を信頼しています。主人公は祖母の言葉に納得し「父親の土産のうまさをよく味わう」ことを楽しみにします。
  • 父親の帰省の場面では、父親は八時間もの間ドライアイスを交換しながら帰省したことが述べられ、ドライアイスやえびフライに驚く子どもたちの姿を「満足そうに」眺める父親の姿が描かれます。
  • その日の夕方では、隣の喜作も盆土産を喜んでいる姿が、夕飯の場面では、揚げたてのえびフライを食べる一家団欒の様子が描かれます。その中で、「父っちゃのだし」を心配する主人公と、次の日に帰省することを息子に告げられない父親の心理が語られます。
  • 2日目。墓参りの場面では、死んだ母親への家族の思いが、特に祖母と主人公を通して語られます。
  • そして夕暮れ時、主人公が父親を見送る場面では、父親と主人公との交流とすれ違いが描かれています。

  この物語全体から俯瞰されるの主題は、父と息子との交流だけではありません。父が子へ、子が父や死んだ母へ、祖母が子(父)や孫(主人公と姉)あるいは夫(祖父)や嫁(母)へと、家族全体の双方向性のつながりが描かれていることがわかります。

 そしてその交流は、父親が東京へ働きに出ていて稀にしか帰省できない状態であることにより鮮明に浮かび上がってきています。

  • 父親が東京へ働きに出ている東北地方の家族の絆

 これが「盆土産」主題だと思います。

 この主題は、最後の場面で主人公が「えんびフライ」と言い間違えるところに象徴的に表現されていると思います。「えんび(フライ)」という言葉が登場するのは、冒頭部の主人公と姉との会話、墓参りでの祖母の言葉、そして最後の場面の主人公の言い間違いとしてです。

 主人公は、「いつもより少し」強めの父親の愛情表現で動転し「うっかり」「えんびフライ」と言ってしまいます。なぜ「えんびフライ」でなければならないのでしょう。

 「えんびフライ」が単語として登場するのは、墓参りの場面です。

  • 昨夜の食卓の様子を(えびのしっぽが喉につかえたことは抜きにして)祖父と母親に報告しているのだろうか

 祖母が報告した「昨夜の食卓の様子」を「祖父と母親に報告」するとしたら、どのような内容になるのでしょう。

  • 帰らないと思っていた「父っちゃ」がわざわざ墓参りのために帰ってきたよ。盆土産に珍しいえびフライを持ってきたよ。孫たちはとても喜んだよ。みんなで楽しく海老フライを食べたよ。…安心しておくれ。

 祖母が報告したのは、「昨夜の家族揃っての楽しい団らんのある食卓の様子」だったはずです。この象徴としての単語が、親しみのある方言を使った「えんびフライ」だったのではないでしょうか。そして「家族揃っての楽しい団らん」こそが主人公が希求する絆であったはずです。

 だからこそ主人公の「家族揃って楽しい団らんを囲みたい」という願いが、その象徴たる「えんびフライ」という言葉となってほとばしったのだと思います。 

 


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