字のない葉書


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邦子は父をどう考えているか

 「父」に対して「邦子」はどう感じているかは、Ep.1、Ep.2、「今」と、三つに分けて考えなくてはいけません。Ep.1は中学1年生くらい、Ep.2は高校生くらい、「今」はアラフィフのおばさんです。

 

 「父」に対して抱く気持ちが同じであるはずがありません。

Ep.1

 「邦子」が手紙を受け取ったときは、一人前に扱われたような気がして「ひどくびっくりした」と思うと同時に「晴れがましいような気分になった」とあります。

 「邦子」は13歳。中学一年生くらいの年頃です。

 「ふんどし一つで家中を歩き回り、大酒を飲み、かんしゃくを起こして母や子供たちに手を上げる」日常の父親の姿と、手紙の中の「威厳と愛情にあふれた非の打ちどころのない父親」の姿との落差に、驚いたのです。

 年頃の娘であった「邦子」にとって、ふんどし一つで家中を歩き回る姿には、生理的な嫌悪感を抱いたことでしょう。

 まだ「暴君ではあったが、反面照れ性でもあった」というような分析はできなかったと思います。

 

だから、過去形で書かれています。

Ep.2

 「父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た」とある通り、驚きがEp.2の中心です。

 Ep.1に「優しい父の姿を見せたのは、この手紙の中だけである」とあるように、父が優しい姿を見せることはありませんでした。

 ところが妹が帰ってくる日、かぼちゃを全部収穫しても「この日は何も言わ」ず、妹が帰ってきたときは「はだしで表へ飛び出し」、大声で泣き出します。

 「男は生涯で三度しか泣いてはいけない」(1回目は生まれたとき、2回目は母親が亡くなったとき、3回目は自分が死ぬとき)と言われていた時代です。大の男が大声で泣くなどとは考えられない時代のことなのです。ましてや優しさのかけらもない、暴君が声を立てて泣く姿は、高校一年生くらいの「邦子」にとって衝撃的なものだったと思います。

 

 そして、「照れ性」で「他人行儀という形でしか十三歳の娘に手紙が書けなかった」父の奥底には肉親に対する強い愛情が隠れていたことに気づいたに違いありません。

 

 

 「あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった。だが、あの字のない葉書は、誰がどこにしまったのかそれともなくなったのか、私は一度も見ていない。」といった時の「邦子」の気持ちです。

 Ep.1の最後に「この手紙もなつかしいが、最も心に残るものをといわれれば」とあります。ですから「今」の気持ちは、次のように考えられます。

  • 数年前になくなった「暴君ではあったが、反面照れ性」であったため家族への愛情表現が不器用だった父を懐かしんでいる

 

 字のない葉書はどこかへいってしまいったが、「私」は今でもその時の父の姿を懐かしく思い出すことができる、ということではないでしょうか。


筆者と父親

 筆者の向田邦子は、1929年(昭和4年)東京都に生まれました。その後父親の転勤に伴い、一歳で宇都宮に転居したのを初めとして、幼少時から高等女学校時代まで日本全国を転々としながら育ちました。

 父親は高等小学校を卒業したあと第一徴兵保険(現、ジブラルタ生命保険)に給仕として入社し、そこから幹部社員にまで登りつめたバリバリたたき上げの苦労人です。

 向田邦子の代表作の一つにテレビドラマの「寺内貫太郎一家」というのがあります。このドラマには寺内貫太郎という、家族に手をあげ、何か気に入らないことがあるとすぐちゃぶ台をひっくりかえすような、頑固で短気で喧嘩っぱやいが、どことなく憎めずむしろ共感してしまう昔ながらの下町の親父が登場します。この人のモデルが、向田邦子の父親です。

 みなさんのおじいさん、おばあさんなら見たことがあるかもしれない昭和のドラマですから、聞いてみましょう。

筆者の伝えたかったこと

 筆者が伝えたかったことは、言うまでもなく父親の愛情です。

 前半は手紙中でしか表せない父親の愛情、後半は「大人の男が声をあげて泣く」というそれまで見せたことのない父の愛情が描かれています。

 それがはっきり書かれているのは、前半のエピソードの最後です。

 

 この手紙もなつかしいが、最も心に残るものをといわれれば、父が宛名を書き、妹が「文面」を書いた、あの葉書ということになろう。

 

 「この手紙」とは、直前の「優しい父の姿を見せたのは、この手紙の中だけである」の部分を指しています。つまり、普段は優しくない(暴君であった)が、その奥には優しさがあったことをいっているのでしょう。

 ですから、「普段は暴君ではあったが時折優しい姿を見せた父をなつかしむ気持ち」というのが、この随筆の主題と考えてよいと思います。

「私」と妹は、いくつ違いか

 最初のエピソードで「他人行儀という形でしか十三歳の娘に手紙が書けなかった」とあります。また「父は六十四歳でなくなったから、この手紙のあと、かれこれ三十年付き合った」とあります。

 つまり、十三歳の娘に手紙を出してから三十年後、六十四歳で父親は亡くなっているわけです。従って前半のエピソードの父親は三十四歳くらいの時の話です。

 後半のエピソードでは「あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった」とあります。

 

 小学校一年の七歳前後だった妹は、三十一年経った現在三十八歳前後です。ですから後半のエピソードの父も三十八歳前後ということがわかります。つまり下の妹を疎開させたときの父親の年齢は三十八歳前後でしょう。このことから、後半のエピソードは前半から四年後の話だということがわかります。とすると、前半のエピソードで十三歳であった「私」は、後半のエピソードでは十七歳になっているはずです。

 このことから、「私」と妹の年齢差は十歳以内です。

 普段は暴君の父が「やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣」く姿は、高校生くらいの多感な少女であった「私」にとって、とても衝撃的な姿だったのだと思います。なにしろ、普段は「暴君」であった「父」は「大人の男」に格下げされ、更に「声を立てて泣くのを初めて見た」のですから、「私」が受けたショックは想像に余りあるものがあります。

 ですから後半のエピソードが「最も心に残るもの」として最上位にランキングされる事件だったのですね。

 

 ちなみに、「私」と妹は、サザエさん(アニメ設定で24歳)とカツオくん(アニメ設定で11歳)よりも年齢的に近いので、別にびっくりするほど歳が離れているわけではありません。(サザエさんの方が不自然だ、という声もあります。)

なぜ「いつも叱る父が、何も言わなかった」のか

 いつもだったら叱る父親が、この日に限って「なぜ叱らなかったのか」と言い換えることができます。
 いつもは暴君で傍若無人に振る舞う父が、"私"と弟を叱らなかったのはなぜでしょう。

 まず、妹を喜ばせたくて一生懸命な姉弟の姿、気持ちに共感したからです。父親も目に入れても痛くないほど溺愛している末娘をなんとか喜ばせたかったのだと思います。

 また、妹が痩せ衰えていることを父親は知っています。ですから少しでもたくさん食べて欲しかったのかもしれませんね。


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