握手


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作品の舞台

 この作品は、

  • 上野公園内にある精養軒1階カフェランドーレで、
  • 高度経済成長期の4月中旬~下旬の月曜日、12時前後

で起こったことの物語です。

なぜ上野精養軒のカフェランドーレか

「上野公園に古くからある西洋料理店」とありますから、該当する店はここしかありません。
夏目漱石や森鴎外の作品にも登場するお店です。
 上野精養軒はこちら
 カフェランドーレはこちら

 ですから、地方在住のルロイ修道士でも訪ねてくるのがかんたんにできます。仙台からやってくるルロイ修道士にとって、駅から近く、わかりやすいので、ここが面会場所に選ばれたのでしょう。
 二階はフレンチレストラン、一階は軽食・喫茶となっています。二人が注文したメニューから考えて、二人が入ったのは、コース料理を主に提供する二階ではなく、本店向かって左側の入り口から入る一階のカフェでしょう。

 ちなみに現在オムレツはメニューにありません。代わりに「オムライス ハヤシソース(¥1,780税込)」が食べられます。

 ここはハヤシライス発祥と言われる3つの店の内の1つです。

 

なぜ高度経済成長期か

 ルロイ修道士が来日したのは「昭和十五年の春」とあります。その翌年第二次世界大戦が始まり、昭和20年(1945)に終戦を迎えます。

 「わたし」は作中で、高校2年生の時「駅前の闇市」で鶏を売ったことを白状しています。戦後闇市があったのは、昭和20年から26年です。(詳しくはこちら
 このことから、昭和20年代前半「わたし」は16歳くらいでした。

 では、二人が上野精養軒で会ったのは、いつ頃でしょう。
 「わたし」が闇市で鶏を売ってから5年後、昭和30年当時、上野精養軒は20歳前後の「わたし」が一人で入るには敷居が高い店でした。ルロイ修道士だって「こんな贅沢なところ……」と思ったに違いありません。ですからこの時の私は20歳前後の若者ではありません。
 闇市から15年後の昭和35年頃、「わたし」は30歳以上になります。この頃になれば、高度経済成長が始まり、世の中の景気は上向きになります。更に10年経って「わたし」が40歳になると、昭和45年(1970)頃。所得は倍増しています。
 この昭和35年~45年あたりをひとくくりにして、高度経済成長期と判断しました。
 「わたし」が50歳だったら昭和55年頃ですが、もしそうならルロイ修道士の年齢は、おそらく末期ガンの患者でなくても一人旅が難しい後期高齢者となってしまいます。

なぜ4月中旬~下旬の月曜日か

 上野公園の櫻の開花時期は、3月下旬から4月上旬です。4月下旬から始まるゴールデンウィークの頃は、葉桜になってしまいます。

 ですから、二人が会ったのは、花見のシーズン後からゴールデンウィーク前の4月2~3週でしょう。

 「動物園はお休みで」とあります。上野動物園は月曜が休園日です。

なぜ12時前後か

 ルロイ修道士は、何時頃上野に到着したのでしょう。

 ルロイ修道士は仙台からやってきました。新幹線が開通していない当時、朝一番に仙台駅から上野に向けて出発したとしても、到着予想時刻は昼前後です。また、上野精養軒カフェランドーレは、喫茶は10時から、食事は11時からです。
 二人はカフェランドーレに到着してすぐ食事をしています。このことから11時過ぎに間違いありません。

ちなみに、昭和55年の時刻表によると、

  • 仙台始発 6:58 上野着 11:13 の特急ひばり4号
  • 仙台始発 7:58 上野着 12:19 の特急ひばり6号

の2本の列車が運行しています。
(東北新幹線の開通は昭和57年ですから、当時はありません。)

 おそらくルロイ修道士は、仙台始発の特急ひばり4号に乗って上野に行き、待ち合わせ時間を11:30 に指定して、精養軒に「時間どおり」にやってきたのではないでしょうか。
  • 店の中は気の毒になるぐらいすいている。
とありますが、これは「昼時であるにもかかわらず」ということだと思います。
 ちなみに、上野発
13:33-仙台着17:48のL特急はつかり9号で帰ったとすると、この物語は1時間30分程度の出来事だったと思われます。

作品における「手」の意味

 作品の題名は『握手』です。そして最初の段落から「わたし」はルロイ師に「手を振って居所を知らせる」とあります。そして作品前編を通じて「手」や「手のしぐさ」が中心となって物語が展開します。3年生で復習テストとしてこの作品が出題されることは多くはないと思いますが,毎日の学習の課題として提出されることがあります。内申点アップのためにも,しっかりまとめておきましょう。

エピソード1 椅子から立って手を振って合図すると……

 この「手」は物語のスタートを告げる合図です。先に述べた「いつ」「どこ」「だれ」といった基本設定を説明するエピソードです。

 ルロイ修道士は,カナダ出身の昭和15年から在日している修道士であり,「今度故郷へ帰る」ことになり「さよならを言うため」に「わたし」に会いに来たことが読者に知らされます。

エピソード2 ルロイ修道士は大きな手を差し出した。

 「わたし」はルロイ師の差し出した手をきっかけに,「中学三年の秋から高校を卒業するまでの三年半,ルロイ修道士が園長を務める児童養護施設」にいたことが読者に告げられます。ルロイ師と「わたし」とは師弟関係にあるのです。

 ルロイ師率いる光が丘天使園ののどかな光景が語られ,

  • ただいまから,ここがあなたの家です。もう,なんの心配もいりませんよ。

という言葉と共に,

  • 万力よりも強く,しかも腕を勢いよく上下させる

という叙述から当時のルロイ師のとても外交的で情熱的な性格や肉体的な健康さが暗示されています。

 「だが…それは実に穏やかな握手…病人の手でも握るようにそっと握手した」というのは,後のエピソードでも出てきますが,結末への伏線-ルロイ師の死亡フラグその1です。

エピソード3 両のてのひらを擦り合わせる。だが・・・

 プレーンオムレツを食べるシーンです。(現在精養軒でこのメニューは扱われていませんが,頼めば裏メニューとして出してくれるかも…。オムライスなら近くの国立博物館の精養軒系列のレストランで食べられます。)

  • だが,彼のてのひらはもうギチギチとな成らない。あの頃はよく鳴ったのに。

と回想が始まります。この回想の中で,ルロイ師はデスクワークよりも体を動かすことが好きで,「子供たちの食料を作る」ための労働を好んでしていた子供好きでそのための骨惜しみをしないルロイ師の姿が語られます。

 そして

  • だが,彼のてのひらはもうギチギチとは鳴らない

と,伏線が張られます。死亡フラグその2です。

エピソード4 先生の左の人さし指は・・・

 ルロイ師の左の人差し指を通じ,過去を語る部分です。戦中~戦後の師の生活を語る中で,師は収容者の「代表」となる程の人望があり,軍部に毅然と意を唱える勇気があることが説明されると同時に,施設の子供たちをみつめる温かい眼差しが語られ,ルロイ師の気持ちが子供たちに伝わり始めたことが述べられます。

エピソード5 ルロイ修道士は…右のひとさし指をぴんと立てた。

 ルロイ師の「右のひとさし指をぴんと立て」るハンドサインを通じ,ルロイ師の人間観が説明されます。このハンドサインは「説教」です。

エピソード6 わたしは右の親指をぴんと立てた。

 「わたし」の「右の親指をぴんと立て」るハンドサインをきっかけに,ルロイ師の死亡フラグその3が立てられます。ポイントは,「わたし」がハンドサインを使うことです。師の薫陶を受けていることがわかります。

エピソード7 両手の人さし指をせわしく交差させ,打ち付けている

 ルロイ師のバッテンマークのハンドサインです。師はこのサインの直後,ビンタを出していたようです。ここのエピソードで,「わたし」がルロイ師のもとで生活したのは戦後焼け跡の時代であることが明かされます。当時「わたし」にとって師はなくてはならない存在でした。そしてお約束のフラグその4です。次第の「わたし」の師の健康に対する疑惑が形になっていきます。

エピソード8 ルロイ修道士は右の親指を立てた。1

 ルロイ師が「わたし」の仕事の様子を尋ねるときに出したハンドサインです。ここのエピソードで「わたし」は師への疑惑が確信に変わります。エピソード2のネタばらしも兼ねています。

エピソード9 ルロイ修道士は右の親指を立てた。2

 ルロイ師が,上川君のハンドサインのマネをするエピソードです。施設の子ども達の多くがルロイ修道士の薫陶を受けていることを示しています。上川君のやっていることは運輸法及び道路交通法違反です。敬虔なカトリック信者ならバッテンのハンドサインを出すところです。しかし「一人前になった」上川君を喜ぶルロイ師が描かれます。

 追加のエピソードとして,「天使園で育った子が,自分の子を,またもや天使園に預ける」状況は悲しいことだという師の気持ちを説明しています。作者の私生活を知っていると「へ~(笑)」となります。

エピソード10 右の人さし指に中指をからめて掲げた。

 師との別れのエピソードです。「わたし」は師の健康への疑惑をぶつけ,師は「わたし」を騙していたことがバレて「少し赤くなって頭をか」くことで,師の死亡フラグはここで回収されます。そのため,今まで出てきた「手」のサインてんこ盛り…ほとんど“ハンドサイン祭り”です。

 ここで注目すべきは,「わたし」と師の立場の逆転です。最後の場面は「わたし」が施設へ入った時の裏返しとなっています。

エピソード11 わたしは知らぬ間に,両手の人さし指を交差させ・・・

 エピソード10以降の後日談です。エピソード10から約一ヶ月後に師が亡くなったことが読者に知らされます。死因は末期ガン…全身に転移していたことがわかります。

 そこで出されるバッテンマークのハンドサインです。「わたし」は誰に対してなぜ「お前は悪い子だ」と叱ったのでしょうか。

 考えられる可能性の代表的な者は、以下のものがあります。

  1. 「私」は、「自分が病気であることを隠しながら、密かに教え子に別れを告げに来たルロイ修道士」を「ひどいことをする」と考えて,心の中でルロイ修道士を叱ろうとした。
  2. 「私」は、ルロイ修道士に死をもたらした運命に対して「お前は悪い子だ」と叱った。
  3. 「私」は、「ルロイ修道士の気持ちをきちんと受け取り、しっかりと別れをすることができなかった自分」を「悪い子だ」と考えて叱ろうとした。

1. ルロイ修道士が「悪い子」?

  1.は「私」がルロイを非難しているという考えです。しかし師が「自分は末期ガンで余命幾ばくもないので別れに来ました」とルロイ修道士が正直に告げなかったからといって非難するというのはどうでしょう。

 上野駅中央改札口の前で「死ぬのは怖くありませんか」と聞かれたルロイ修道士は、「いたずらを見つかったときにしたように」顔を赤らめます。
 ルロイ修道士は、最初自分の病気を隠していましたが、「わたし」はそれを見抜き、ルロイ修道士も「ばれたか……」と顔を赤らめ、そのルロイ修道士の心の動きを「わたし」はチェックしています。

 つまり、上野駅改札口の時点で、ルロイ修道士は余命幾ばくもないことは、ルロイ修道士と「わたし」の共通認識になり、二人は別れているのです。

 この場面は、ルロイ修道士の死後一年経っています。上野精養軒で出会ったときに末期ガン患者であることを隠していたからといって、ルロイ修道士の死後、それを思い出して「お前は悪い子だ」とどなりつけるのは、どうでしょう。むしろ上野駅改札口での会話を思い出すのが人情だと思います。

 更に、もし上野精養軒でルロイ修道士が「自分は末期ガンだ」と正直に話したとしても「わたし」はなんと言って答えたら良かったのでしょう。

  しかも、もしこの解釈を採用すると「死期がせまっていることを話してくれなかったことに不満を持つ『わたし』」が最終エピソードの解釈となります。

 とすると、この物語の主題はルロイ修道士に対する非難となってしまいます。なんとも後味の悪い物語になってしまいます。

2. 運命が「悪い子」?

 まあ、この解釈が正しいかどうかなんて、誰にもわかりません。ただ、「運命に対して」等の解釈だけはアウトだと思います。

 なぜなら、キリスト教において「運命」とは「神」と同義だからです。この解釈をしてしまうと「ルロイ修道士を死に追いやったのは神である」ということになり、「わたし」は神を「悪い子だ」と叱っていることになります。
 しかしルロイ修道士にとって、「死」も神の配剤であり、恩寵なのです。
 「わたし」はクリスチャンかどうか知りませんが、ルロイ修道士は立派なクリスチャンです。自分が生涯かけて敬愛し続けてきた神様を、教え子の「わたし」が呪った、なんて知ったら、ルロイ修道士は、死んでも死にきれないと思います。

 更にこの解釈をしてしまうと、上野駅改札口での天国のエピソードをふみにじる、なんとも後味の悪い終わり方になってしまいます。

3. わたしが「悪い子」

  3.の「ルロイ修道士の気持ち」とは何だったのでしょう。

 この作品の師に関するエピソードは,そのほとんどが人格者であり教育者としての素晴らしさの説明です。この作品の主人公は「わたし」で,「わたし」の心情がどのように変化したかが主題につながるはずです。

 また、ただ「しっかりと別れをする」だけならば、

  • わたしは右の親指を立て、それからルロイ修道士の手をとって、しっかりと握った。それでも足りずに、腕を上下に激しく振った。

とある通り、ハンドサインてんこ盛りのメッセージを、万感の思いを込めてルロイ修道士に送っています。

 一見、これ以上の「しっかりとした別れ」はないと思います。しかし「わたし」は「この別れは不十分だった、ルロイ修道士の気持ちなんかわかってなかったんだ」と考えているのです。

 何が欠けているのでしょうか。

 ヒントは、上野駅での別れの場面にあります。この場面で「わたし」はルロイ修道士と握手をします。この握手は、師との出会いの場面のオマージュです。

 師との出会いの場面で、ルロイ修道士は次のように語っています。

  • 「ただいまから、ここがあなたの家です。もう、なんの心配もいりませんよ。」

 終戦直後、まだ日本語が不自由だったはずのルロイ修道士は、「わたし」に何を伝えようとしたのでしょう。

 日本語の「家」に対応する英語は、house(家屋・住宅)の他に、home(自宅、わが家、家庭)、family(家族、一家)があります。

 出会いの時、ルロイ修道士は「わたし」に、

  • この天使園があなたの住むところですよ

という意味で「ここがあなたの家です」と言っただけなのでしょうか。

  • この天使園があなたの家庭ですよ
  • この天使園に住む者は、みんなあなたの家族なのですよ

と言いたかったのではないでしょうか。

 この作品で「わたし」は、ルロイ修道士をすばらしい人格者としてとらえています。「わたし」にとってルロイ修道士は「立派な教育者」なのです。だから「わたし」は、ルロイ修道士を、最後まで「先生」と呼んでいます。

 しかし、そんなルロイ修道士の「先生」らしくないエピソードが1つだけあります。道路交通法違反その他、違法行為を繰り返す上川君を楽しそうに認めるエピソードです。今だったら、ネット等でさらされ、即解雇の案件ですね。

  軽微な違法行為を侵しても「一人前になった」と喜んでくれる人、これは立派な「先生」のすることではありません。「肉親」が最も近いのではないでしょうか。

 ルロイ修道士は死期がせまったことを悟り、「息子」に「さよならを言うために」来たのではないでしょうか。

 そう考えると、ルロイ修道士のすべての言動の根幹には「天使園の子ども達は、みんな自分の本当の子どもである」という気持ちがあったとも考えることができます。

 しかし「わたし」は、最後まで「教え子」として接してしまいました。

 ルロイ修道士が、自分を本当の「息子」と思ってくれていたことに、師のの死後始めて気がついたのだと思います。

 そして、「先生、さようなら」ではなく「お父さん、さようなら」という気持ちで送ってあげることができなかった自分を「最後までお前は悪い子だった」とダメだししたのではないかと思います。

 そう考えると、子ども達の本当の父親になって生きてきたルロイ修道士にとって「父子二代で天使園に入ることはない」という言葉も、ぐっと重みが増しますね。
 (作者の実際の親子関係等については、ここでは触れないであげましょう。)

  まあ、3.が正解かどうかなんて誰にもわかりません。たぶん授業でも「どちらが正しい」と結論を出さずにおわらせると思います。考察を参考に積極的に発言して、内申点をあげてください。がんばってね。


 「握手」のQ&Aをまとめました。

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