詩の構成と修辞法の二つの面から、「この気持ち」は何かを解説しています。(修辞法についてはこちらにまとめてありますので、あわせてごらんください。)
作者は谷川俊太郎。「空をこえて ラララ 星のかなた~」で有名な鉄腕アトム主題歌の作詞者ですね。
この詩を音読してまず気づくのは、「この気持ちはなんだろう」というフレーズの繰り返しです。これを「反復法」といいます。「反復法」のポイントは、その言葉を繰り返すことにより、内容を強調し、読み手にリズム感を与えることです。ですから、読者は自然に「この気持ちはなんだろう」という問いかけに対して、「何に対するどんな気持ちなのだろう」と考えます。そのため、「この気持ちは何だろう」を区切りとした3つのまとまりを考えることができます。
1行目「この気もちはなんだろう」~5行目「声にならないさけびとなってこみあげる」
6行目「この気もちはなんだろう」~13行目「いまあふれようとする」
14行目「この気もちはなんだろう」~最後
1のパーツは「目に見えないエネルギーの流れが」「声にならないさけびとなってこみあげる」と書かれています。2のパーツにある「枝の先のふくらんだ新芽」から、“春のエネルギー”とも言えるものが連想されます。
状況から考えると、『ドラゴンボール』の元気玉のような状態でしょうか。春の元気が「大地からあしのうらを伝わって/ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ/声にならないさけびとなってこみあげる」といっています。地球から得た春のエネルギーが自分の身体に伝わり、ゴジラの白熱光(これは初代。2代目以降は放射能線。平成ゴジラではバーニング熱線を使用します。口から吐き出すアレです。)発射直前のような状態を説明しています。(当然これは比喩です。この詩は空想特撮の世界ではありません。)
春の元気玉が体中にみなぎって、外に吐き出されようとしている状態を表現しています。
2のパーツは、「この気持ち」の説明です。「枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく」ような気持ちです。比喩ですが、これではまったくわかりません。(「なんとなくわかる」というのは、実はわかっていないことです。自分の言葉で説明できることが「わかる」ということです。)
そこで8行目以降で具体的な状況を説明しています。「よろこびだ しかしかなしみでもある/いらだちだ しかもやすらぎがある/あこがれだ そしていかりがかくれている」の部分です。対句で押印、修辞法てんこ盛りの部分です。「しかし(but)」「しかも(also)」「そして(then)」と、矛盾した相反する感情が、あって当たり前であるかのように感じられる順序です。
春になるとムラムラっとくる気持ち。この気持ちのままに行動すると、変質者か、最悪病院送りになります。まともな人はぐっと理性でおさえます。これが「心のダムにせきとめられ」です。「せきとめられ」ですので、なくなるわけではありません。「よどみ渦巻きせめぎあい/いまあふれようとする」状態です。
つまり「この気持ち」は、矛盾した相反する感情であり、それがからだじゅうにみなぎっている状態であることを説明しています。
最後の3のパーツは、「この気持ち」の解決編です。3のパーツを意味のまとまりとして区切ると、下のようになります。
このまとまりで用いられている修辞法は何でしょう。1,5,8を除き、すべての行が“i”音で終わっています。押韻です。またこれらの行の多くは「~たい」という願望の助動詞が使われています。
2「あの空のあの青に手をひたしたい」3「まだ会ったことのないすべての人と/会ってみたい話してみたい」4「あしたとあさってが一度にくるといい」というのは不可能な願望です。6「地平のかなたへと歩き続けたい/そのくせこの草の上でじっとしていたい」7「大声でだれかを呼びたい/そのくせひとりで黙っていたい」という「~たい/そのくせ~たい」の部分は矛盾した願望です。未知のものや人を求めて行動したい、という非常に前向きな気持ちと言えます。
これらの中に挟まれた5「ぼくはもどかしい」。押韻や「~したい」等の繰り返しの中で、この1行だけが異質となり目立っています。これが破調です。
このことから「この気持ち」は「もどかしい気持ち」であることがわかります。
以上のことをまとめると、「この気持ちはなんだろう」の答えは、
「春になって生まれた、自分でも説明できないさまざまな願望を実現できないもどかしさ」であると考えられます。