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問題を解いていくと、時代背景はもちろん、親戚に言ったときの母の顔の意味や、最後の場面で「初めて泣いた」母の気持ちなどが、レトリックを中心に理解できるようになっています。授業の予習・復習に最適です。
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ミルクに対する「僕」と母の気持ちは、反復法と省略法、倒置法によって語られます。
甘い物がとても魅力的で、いけないとわかっていても飲んでしまった「僕」の気持ちと、それを止めさせたいが、「僕」の気持ちがわかって「ダメ」と言えない母の気持ちが伝わってきます。
省略法とは、――(ダッシュ)や……(リーダー)などを用いた、文を簡潔にして、その文に込められた登場人物や作者の気持ちなどを読者に感じ取らせようとする表現技法です。
この「大人になれなかった弟たちに……」は、題名もそうですが、省略法がとてもたくさん使われています。特にこの場面でたくさん使われています。
1.からは、それはわかってはいたんだけれど、でもがまんができなかったという「僕」の苦しい気持ちが伝わってきます。
2.は「ミルクはヒロユキのご飯だから、ヒロユキはそれしか食べられないのだからと、母は、よく言いました。」という倒置法も使われています。お母さんは「ミルクはヒロユキのご飯だから」「ヒロユキはそれしか食べられないのだから」と言ったわけで、「僕」に「ミルクを飲んではいけません」という部分が省略されています。つまり、お母さんは「僕」の気持ちもよくわかっていたので、「ミルクを飲んではいけません」とまでは言えなかったのですね。
3.は、何回も飲んでしまった、の「飲んでしまった」という部分にこめられた、悲しさや後悔が入り混じった気持ちがこめられているのではないでしょうか。また「何回も、何回も、何回も……」と数え切れないほど飲んでしまったこと意味もこめられているように感じます。
4.は、「……」によって間(ま)が生じます。この間には「僕」の「その時はどうしようもなかった」という深い悲しみや後悔がこめられているように感じます。
他にもこの文章にはたくさん省略法が用いられています。一つ一つチェックして、そこにこめられた登場人物や作者の気持ちを考えていきましょう。
親戚の家へ疎開の相談に言った時の母を、「僕」はどのように感じたのでしょうか。
「僕」の印象に強く残っているのは、
です。「その」が指示する内容は、親戚の人に「うちに食べ物はない」と言われるなり、「帰ろう」と言って、くるりと後ろを向いたときの顔でしょう。
その顔は
でした。
自分だけで子どもたちを守ろうとする強さ、頼る者がない悲しさが表れている顔ですね。
「僕たち子供を必死で守ってくれる母の顔は、美しい」と感じたのです。
その顔を、
と、その後何度も思い出していることがわかります。
ヒロユキが亡くなり、「僕」と母は家へ帰ります。
これは情景描写で、「僕」の気持ちを表現しています。B29の不気味なエンジン音や、青空に光る無機質な機体の色、そして自分たち以外は誰もいない風景。心にぽっかり穴のあいたような、空虚な気持ちが伝わってきます。
「三人だけ」と言っているので、「僕」にとってヒロユキが死んだことがまだ信じられないのです。
情景描写とは、登場人物や読者が眺めている風景を表現している文(地の文)のことです。
しかし、ただ風景を描いているだけではありません。登場人物の気持ち(感情)がその場の状況(景色)にこめられていることが多いようです。また起こることが暗示されることもあります。
亡くなったヒロユキ君をおんぶして帰る場面です。
高く高く澄んだ青空や、美しく輝く飛行機などの情景は、なんとなく読むと、とても美しいように感じられます。
しかし、本当に「僕」や母は、それを美しく感じていたはずがありません。
母は本当にそう思っていたのでしょうか。
「子どもたちは自分が守らなければいけない」と強く思っていた母にとって、ヒロユキの死は受け入れられなかったのではないでしょうか。「ヒロユキは幸せだった」と自分に言い聞かせ、ヒロユキの命を守りきれなかった自分を納得させようとしていたのではないでしょうか。
この母の気持ちは、次の段落で崩壊します。
反復法により、周囲の人々にとってヒロユキは小さかったことを強調し、最後に予想以上に大きく成長していたことを読者に印象づけています。
反復法とは、同じ語句や似た語句を繰り返し、リズムを生み出す表現技法です。しかし、この文章ではもう少し高度な使い方をしています。
ここでは「小さな」が何回も繰り返されています。このことから、農家のおじさんも含め、ヒロユキ君はとても小さいと、みんな思っていたことがわかります。
しかし、その小さなヒロユキ君のために作られた小さな棺桶に、ヒロユキ君は入りませんでした。ヒロユキ君は、みんなが思っていたより、ずっと大きかったのです。
それまで、ヒロユキ君を守ろうと必死で、ヒロユキ君が死んでしまっても「幸せだった」と自分に言い聞かせていたお母さんは「大きくなっていたんだね」と泣き出してしまいます。ヒロユキ君は、栄養失調になっても、必死で生きて成長しようとしていたことに気づいたのでしょう。でも死んでしまった、せつなさ、つらさがあふれたお母さんの姿です。
この「小さな小さな」というように、二回繰り返す方法も、この文章にはたくさんあります。
例えば、親戚の家のところに行った場面で、
という表現があります。
「顔」という言葉も繰り返していますが、「悲しい」は二度繰り返されています。それは、お母さんの悲しさがとても大きかったためだと思われます。
他にもたくさんあります。それらの繰り返しには、どのような意味がこめられているのか考えてみましょう。
作品中の“僕”に弟は一人しかいません。しかし「ヒロユキ」とカタカナで書くことにより、戦時中に栄養失調で死んでいった多くの子ども達すべてを表現するために、「たち」という複数形を用いたのだと思います。
ちなみに戦争で死んだ子どもというのは、「ちいちゃんのかげおくり」のちいちゃんのように空襲で死んだり、ヒロシマやナガサキで原爆で死んだりした子どもばかりではありません。戦争末期から戦後にかけて食糧不足の中、弱い者から栄養失調や病気(当時、薬も不足していました)で死んでいきました。一番弱い者…それは乳幼児でしょう。
「・・・」の省略法には、どんな気持ちがこもっているのか、それは作品を読んだ読者に任されていると思います。
ちなみに、原作の絵本には「母に捧ぐ」という言葉が添えられています。もしこの話が、作者の母親に捧げるものであるとするならば、「弟たちに・・・」の「に」にはどんな言葉が続くのでしょう。この作品は、栄養失調で亡くなった子ども達への鎮魂歌(レクイエム)のような気がしますね。
特別な意味があることを強調するためです。例えば「広島」と言えば、広島カープや厳島神社、広島風お好み焼きなど、さまざまなイメージがわきますね。ところが「ヒロシマ」と書いたらどうでしょう。一発で原爆が落ちた場所だ、と読者にはわかります。
では、「ヒロユキ」とカタカナで書くことで、作者はどんな意味を強調したかったのでしょう。“僕”の弟に象徴される「戦争中、栄養失調で死んでいった子ども達」を強調させたかったのだと思います。
そのときの顔を、僕は今でも忘れません。強い顔でした。でも悲しい悲しい顔でした。僕はあんなに美しい顔を見たことはありません。僕たち子供を必死で守ってくれる母の顔は、美しいです。
この部分には「顔」という言葉が5回も使われています。読者の注意を喚起する反復表現です。それぞれの顔は以下の関係になります。
強い顔+悲しい悲しい顔=美しい顔=母の顔
「強い顔」とは「子供を守ってくれる顔」です。そして「悲しい悲しい顔」とは、誰にも頼らずに一人で命がけで守ろうとする顔」です。この叙述の直前、親戚に「食べ物をもらいにきた」と誤解され、弁解せずに「くるりと後ろを向いて」帰ってしまいます。誰にも頼ることができないことを悟り、たった一人で子どもたちを守っていかなくてはいけないと決意した、強さと悲しさがあるのでしょう。
子供である“僕”は、それを「美しい母の顔」と感じたのです。
思うはずがありません。「子供を必死で守」ろうとした母親ですが、ヒロユキを守りきることができなかったのです。そして「子供を守れなかった」という事実を一番受け入れることができなかったのは母親自身です。
この言葉は、「『ちいちゃんのかげおくり』のようにひとりぼっちで死ぬよりずっとましだった」と、なんとか自分を納得させようとする言葉です。ヒロユキの死を「自分のせいだ」と思って、それでも自分をなんとか納得させようとする言葉なのでしょう。
そして納棺の時に、母親はヒロユキ自身が大きくなっていることに気づきます。自分の中では「小さい」赤ちゃんで、自分が守ってやらなくては生きていくことができないと思っていた母親ですが、ヒロユキ自身もまた「生きよう、成長しよう」としていたことに気づき、ヒロユキの無念さを思って初めて泣くのです。
最後の一文は、次のようになっています。
僕はひもじかったことと、弟の死は一生忘れません。
ここには作者の強い意志が入っています。「忘れられません」という表現と比べてみるとよくわかります。作者は「ひもじかったことと、弟が死んだことは絶対に忘れないぞ」と決意しているのです。
作者は、作中で「僕はあのときのことを思うと、いつも胸がいっぱいになります。」と述べています。「いつも」ということは、しょっちゅう疎開のことが思い出されたのでしょう。
そしてそれは、すべての元凶である「戦争」に対する強い思いが込められた言葉に違いありません。