作られた「物語」を超えて


 「作られた『物語』を超えて」の、予習・復習、定期テスト対策用プリントを販売します。

 特に記述問題を増やし、記述力がつくように工夫しました。

 解答用紙、解説つき。

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誤解に基づく「物語」

ルワンダの「物語」

 テキストに「私がゴリラの調査で足を踏み入れるルワンダやコンゴなどでも紛争が絶えず」とある。

 このルワンダやコンゴの紛争が、筆者がこのテキストを書くきっかけとなったのではないか。

悲劇のはじまり

 ルワンダやコンゴに住むフツ族とツチ族は、もともと同じ種族だった。しかし比較豊かな遊牧民と、貧しい農耕民との貧富の差が広がり、豊かな遊牧民がツチ族、貧しい農耕民がフツ族と分かれていったようだ。

「フツ」も「ツチ」も、同じ種族なので、普通「フツ族」「ツチ族」とは言いません。しかし分かりやすく説明するため、ここでは「族」とつけて説明していきます。

 彼らが住む土地は、第一次世界大戦以降ベルギーの植民地となった。この時ベルギーは、少数派である豊かなツチ族を支配層として、間接的にルワンダを支配した。

 もともと同じ種族であるため、二つの部族に遺伝子的な差はない。

 

 しかし鼻の大きさや肌の色などを基準に、少数のツチ族と多数のフツ族等が分けられた。そして、どの民族に属するかは、父方の血統をもとに決められた。

 さらに、神話等をもとに「高貴な」ツチ族と「野蛮な」フツ族という考え方が一般的に広められた。

 このような人為的な差別は、巧みに植民地支配の道具として利用された。

 その結果貧しいツチ族は、あらゆる面で差別されるようになったのである。

ツチ族の追放

 ところが1959年、ツチ族とベルギー当局との関係が悪化すると、ベルギーは「社会革命」の名の下に、フツ族の力によってツチ体制を転覆した。(ツチ族が言うことを聞かなくなったので、フツ族に肩入れして、自分がつくったツチ族の支配体制を自分でひっくり返した、ということです。当時社会主義革命が流行していました。)

殺し合いの歴史

 1994年4月14日、フツ政権の大統領が暗殺された。(犯人はまだわかっていない。)

 しかしこの事件をきっかけに、政府とフツ族は、ツチ族の犯行であるとし、ツチ族と穏健派フツ族に対しジェノサイド(大量虐殺)を行った。

 

 その結果、ルワンダ総人口約730万人中、およそ80万人から100万人が殺害されたとみられている。

 これに対し、隣国ウガンダから進軍したルワンダ愛国戦線(ツチ族)が、ルワンダへ侵攻。この「ルワンダ虐殺」は一応の収束をみたとされる。

世代間で継承された「果てしない戦いの心」

 虐殺を行ったフツ族は、ツチ族による報復をおそれ、今度は隣国コンゴへ逃亡し巨大な難民キャンプを作った。

 欧米メディアはフツ族の難民たちを内戦の犠牲者であるかのように報道し、人権団体が積極的に支援を開始した。 

 しかしこの裏には、欧米諸国のさまざまな思惑があった。

 その今後、フツ族やツチ族の動向は、国連やアメリカ等の大国を巻き込み、コンゴ内戦へと発展していく。

 

 そして更に戦火は中央アフリカ全体に広がり、現在も解決してはいない。


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