編纂者

稗田阿礼

 『十種神宝
』シリーズの編纂に携わったとされる人物。活躍年代は1940年代以降(昭和後期=第2次世界大戦後)と考えられる。 

 おそらく、公立の義務教育諸学校(主に小・中学校)の教員の一人であり、特に国語教育を専門としていた。

 その後平成の時代になり『今事記』の編纂に参加することを命じられ、稗田阿礼が経験したことを太安万侶が筆録する形で『今事記』の編纂が進められたが中断された。

 『今事記』の編纂は、令和の時代になり『十種神宝』と改題・再開され、現在太安万侶によって「学校の基礎・基本」が公開されつつある。 

 自分がどこの誰と知られることを極端に嫌い、晩年は「自分は、旧道にひっそりと佇む忘れ去られた道標であり、道行く人々を黙って眺めていただけである」と語っていた。

 本人の意思を尊重し、性別・生没年等、全て不明とした。